甘酸っぱくてとろ~っとした真っ赤なフィリングが流れて出してくる、チェリーパイ。

赤毛のアンが作ったからでも、ツインピークスに出てきたからでも、アンナミラーズの制服が可愛いからでもなく、初めて食べたその日から、この日本ではなかなかお目にかかれない真っ赤フィリングの虜なのだ。

初めてチェリーパイを食べたのは高校生2年のある週末。その日は週の中日の祝日で珍しく寮のカフェテリアが休みだった。学生がいなくなる長期休暇や大型祝日以外は休むこともなく開いているのが当たり前のカフェテリアが閉まっているとなると、たいてい空腹感に苛まれている育ち盛りの学生にとっては死活問題なのである。そういう日は、ルームメイトたちと学校から徒歩20分ほどのスーパーで材料を買って部屋でサンドイッチパーティをするか、スーパーの手前のPerfecto’s Caffeで一日分のベーグルサンドを買い込み、カフェテリアのレンジで温めて食べ、それすら面倒な時や金欠の時は、廊下の片隅にある公衆電話で宅配ピザを頼み、その横にある自動販売機でポテトチップや気が遠くなるほど甘い菓子類とジュースを買いこんで誰かの部屋でワイワイしながら食べるのが慣わしだった。とりわけ私達はこの火を使わない貧しいディナーのことを皮肉って「ハッピー マンチーズ ディナー」と呼んでいた。

話がそれたが、その日はPerfecto’s Caffeで一日分の食料を調達することになった。メキシコ料理のブリトーに似た薄いトルティーヤで好きな具財を巻くラップと、手作り感満載のベーグルサンドがそのカフェの看板メニューだ。店への道中、どんなサンドイッチを買おう、ラップの具財はどれにしよう、とあれこれ悩むのがまた楽しい。そして、祝日になると店のディスプレイケースに所狭しと並べられるデザート類もまた楽しみのひとつなのだ。普段は町の周辺で収穫されるクランベリーが入ったマフィンやチョコチップクッキーなどの恐ろしく甘い定番スウィーツがラップにくるまれ無造作にレジの横の籠に入れられているだけなのだが。

日本のスウィーツはどれを食べても平均以上の味がする。だが、アメリカは質より量といった感じで、ケーキを頼めば、硬くて甘い、しかも特大サイズのなにやらよく分からない塊がテーブルに運ばれてくる。気分が上がったり、デザート別腹とか、そういう気分にならないのだ。その日も、あまり期待せずウェイターにきいてみた。

 

「お勧めはどれ?」

「今日はチェリーパイだよ」

「じゃあ、それをひとつ」

 

メインの2食は、当時、お気に入りだったハムとチーズとパラペニョのオムレツ入りのラップとスモークサーモンとクリームチーズのベーグルサンド。それに、いつもなぜか買っていたスナップルズのボトルに入ったフレーバーティー2本、そして、チェリーパイ。それがその日1日の献立で、暖かい方が美味しいラップを昼に、冷たい方が美味しいベーグルを夜に、そして、チェリーパイは半分ずつ食べる予定だった。もし、チェリーパイが甘すぎたら甘党のルームメイトにあげよう、と秘かに考えていた。

想像するに、もともとは大きくて丸いホールのチェリーパイは、ケースに入れられる前に何等分かに切りわけられたのだろう。そして、無造作に持ち帰りボックスに放り込まれたそのチェリーパイは帰る頃までにはすでに原形をとどめておらず、アメリカの中華料理屋でよく出てくる赤くて甘い酢豚の餡かけのような得体の知れないスライミーへと変貌していた。私は見た目がぐちゃぐちゃした料理が嫌いだ。ラップを平らげ、いざ、チェリーパイにフォークを突っ込んだ。

あれ?!何かが違う!恐ろしく甘くてふた口も食べたくないよくあるケーキではない!良い意味で期待はずれだ!私好みの甘さに酸味も良い具合にプラスされている。
中華料理屋の酢豚と同類だと馬鹿にして申し訳ない、と素直に思った。

あの日以来、チェリーパイは私のお気に入りのスウィーツの人つになった。

Perfecto’s Caffeのそれを超えるチェリーパイには出会ったことがないが、見かけるととにかく買ってしまう魅惑の食べ物、それがチェリーパイなのだ。たとえ、学校の自動販売機で50セントで買える合成着色料と砂糖で固められた腐ることのないチェリーパイでも、ファミレスの横にアイスクリームとホイップクリームがこれでもかと添えられた甘さとボリュームで気分が悪くなりそうなチェリーパイでも、とにかくウェルカムなのだ。