4月から始まった我がリモート生活。
普段から籠ることに慣れているせいか何の苦もなく楽しい毎日を送っている。
そんな私がこの3ヶ月でハマりにハマっていまだ抜け出すことができないのがNetflixで絶賛配信中の『愛の不時着』。

4月のある日、友人がやってきた。

「ねえ、仕事の邪魔しないからNetflix使わせて!お願い!」

「何見るの?」

「愛の不時着。昨日、電車で隣に座って人が見てて、覗き見してたらハマっちゃって!最初から邪魔されずゆっくり見たいの」

「覗き見でハマるって、どんなんよ?!てか、そのタイトル、すごくない?」

「子供にもオヤジにも作り置きしてきたから、しばらく泊めてー。あんたんちのご飯は私が作るから!ね!」

「いいけどさ」

 

私は会社員といっても、翻訳や原稿を粛々と(マイペースで)遂行し期日までに形にすれば誰にも咎められることはなく、ストレスで辞めていく人が多い会社の中でも比較的のほほんと働いている。しかも、コロナの流行で、会社も閉鎖され、家にいることを余儀なくされ、誰にも監視されることなく更にのほほんと業務を進めていた。毎週月曜に今流行りのZoomで、お局がチームミーティングとやらを開催し、個々の進捗状況を報告せねばならないのだが、ほぼお局の自己満足に付き合わされる以外は、このご時世そんなに仕事量もないのである。

そんな途轍もなく自由で、素敵な時間を持て余している私の元に自らの家族をも置いて飛び込んできた友人。やってる感を出すために始めた仕事を早々にやめ、2人ソファに座って1話から見始めた。

韓流ドラマははっきり言って興味がなくあまり見たことがなかった。昔、昼間に韓流ドラマを放送しているチャンネルがあった。転職活動中だった私は何も用がない日はソファに寝転んで、家族にバカにされながら一日中テレビを見ていた。時々、暇つぶしに韓流ドラマも流し見していたのだ。それくらいの知識しかなく、3人くらいしか韓流スターも知らなかったのだ。

最初は、「ああ、もうこの髪型じゃなかったらこの人かっこいいのかもしれない」などとほざいていたのだが、話が進むごとに「なんかこの髪型慣れてきた」、「こんな男いないよねー」と、容易に想像できるように『愛の不時着』という、どこか胡散臭く、それでいて不思議なメロドラマ感を醸し出すイカれポンチなタイトルを持つこのドラマの深い沼にはまっていくことになるのだ。互いの夫とヒョンビン演じるジョンヒョクを比べては何度もため息をつく現実逃避の旅が始まったのである。
まるで、間違った電車が時には正しい目的地に連れて行ってくれると信じてやまないように。

 

物語は、パラグライダーをしていた韓国財閥令嬢で実業家のセリ(ソン・イェジン)が竜巻に巻き込まれ、軍事境界線付近の北朝鮮に不時着してしまい、その辺りを警備していたイケメン北朝鮮将校ジョンヒョク(ヒョンビン)と出会うところから始まる。韓国へ帰る方法を探し奔走しているうちに、だんだん惹かれ合う2人。絶対極秘のはずのラブストーリーなのだが、周りの人たちを巻き込んで壮大なストーリーへと発展していくのだ。果たして、2人の愛はどのような結末を迎えるのか…。

よくある韓流のメロドラマの要素は忘れず、ラブストーリーあり、サスペンスあり、コメディあり、いろんな作品へのオマージュあり、国際問題あり、とにかくあらゆる要素を取り込みながら、涙あり、笑いあり、とにかく何でもありのストーリーが展開していくのだ。

家同士の都合で結婚できない人たちなんてそういないし、国際結婚も珍しくない昨今、『ロミオとジュリエット』のような設定は時代遅れだろう。『愛の不時着』は現代版『ロミオとジュリエット』だと例えられることが多いが、北朝鮮と韓国の“許されざる恋”には変わりないないが、あまり古臭さを感じさせない。最終的に定期的に会えるようになったジョンヒョクとセリはどちらかというとドラマにも出てくる『織姫と彦星』の方が近いかもしれない。ひとつ違うのはジョンヒョクとセリは天の川の2人よりはるかに働き者だということだ。

ストーリーには様々な伏線が張られ、メインストーリーに寄り添いより説得力のあるストーリーへと姿を変えていく。例えば、2人が北朝鮮で出会う以前にも、スイスで偶然出会っていたという記憶の断片エピソードがエンディングで流れるのだが、偶然から運命の出会いへと変わっていく方程式がしっかりと裏付けされていく。先に結論を言ってしまうと興醒めだが、最後にひとつひとつの小さなのピースがうまく埋められ壮大なパズルが完成するかのような気分になるのがこのドラマの素晴らしいところなのだ。

主役の2人(特にジョンヒョク演じるヒョンビン)は申し分なく素敵なのだが、その2人を取り巻く登場人物たちも魅力的なのだ。ジョンヒョクが住む村の人情あふれる住人たちや、無邪気でドジな忠誠心パねー部下たちの存在が物語にさらなる彩りを与えている。根っからの悪人も数名しか出てこないところも、このご時世好感が持てる。

脱北者が監修したという北朝鮮の田舎町の暮らしや北朝鮮訛りも実に興味深い。昔の日本を彷彿させるどこか懐かしい空気が流れ、近代化の副産物で人間関係が希薄になった日本に少々寂しさを感じたりもする。もちろん、世界的に有名なあの人は出てこない。変な方向に洗脳された人ばかりではない、そこにも暖かい血が流れていると教えてくれる作品でもある。

 

私たちはその日からワインとつまみ片手に、テレビにかじりつくように『愛の不時着』を視聴し、1話が結構な長さの全16話を2日で見終わってしまった。

ありがたいことに家事は各自が行ういうシステムを採用している我が家では主婦という概念は存在せず、その間、私たちを邪魔する者は誰もおらず、堂々と『愛の不時着沼』に巻き込まれることができたのだ。結局、その友人とは4月のあの日から一緒に3周視聴した。最近は夜のひとりのお楽しみタイムは「ヒョンビンに不時着タイム」と題し、彼の古い作品や『愛の不時着』のお気に入りシーンを何度も見たりしている。4月から何周見たのかも分からないが、日を追う毎にジョンヒョク(=ヒョンビン)に夢中なのだ。

 

その2へ続く